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僕らの妖精 石川秀美ちゃんのシングル曲とともに当時の僕の思い出話です。

ます、デビューからスターダスト・トレインまでがこのページ。
次にめざめからはこちらのページです。 どうぞ!


高校生時代は彼女と共に来た感じがする。ピンク・レディー以来シングルの発売が待ち遠しかったのは彼女の存在だけだった。

妖精時代
彼女のデビュー曲は僕が中学3年のとき発売さ れた。
小学生の頃ピンク・レディーにはまってしまい。中学2年になる頃解散。
その後空白を埋めてくれたのは彼女の存在だった。デビュー直後からファンになったわけではないがず〜っとシングルを買い続けたのはピンク・レディーと彼女 だけだった。(チャゲアスはCD買い続けたかな〜^^おっと脱線。失礼!)
この曲で思い出にあることはその年のキャンプで当時好きだった女の子がこの曲をキャンプファイヤーのとき歌ったことだ。
さわやかで明るいこの曲にマッチした子だった。
実は彼女がデビューした年は大物アイドルがぞくぞくデビューしたのである。(花の82年デビュー組)
中森明菜を筆頭に小泉今日子、早見優、堀ちえみ・・・僕らの高校時代を華やかに彩ってくれた優秀なアイドルたちである。
そしてこの82年デビュー組の中で歌唱力一番といわれた中森明菜は新人賞には入らなかったが少女A、セカンド・ラブと立て続けにヒットを飛ばす。(この頃 は明菜ファンだったかも?)素質としては明菜が一番で二番手はこの石川秀美だと書いている雑誌を読んだことがあった。
歌はそんなにうまい・・・か〜?と思ったがその素質というのは多分・・・声量ではないだろうか。
彼女がバスケットで鍛えていたことは有名な話だが、スポーツをしている人はやはり声も出る。
その声が出るといった点ではやはり彼女に軍配があがるだろう。後々ロック色の強い曲などに転身したときその辺りは顕著に出ているのではないだろうか?そう そう彼女の魅力といえば健康美などともいわれていたがその辺りも僕が後々ファンになったきっかけでもあった。中学時代はバスケットに明け暮れてましたか ら。
そんな僕らの妖精石川秀美の思い出、曲ごとにこの後綴っていきます。お楽しみに〜

ゆ・れ・て湘南
石川秀美と聞けばほとんどの方はこの曲を思い 浮かべるのではないだろうか?といわれるほどの名曲といえる。この曲の持つさわやかさとちょっと哀愁漂う?マイナー調の音そしてスッキリしたまとめ具合が 石川秀美というアイドル歌手の全てを表しているように思う。
僕が彼女のファンになったのはまぎれもなくこの曲を歌っている時である。詳しくいうとその年の新人賞レースの頃といった方がよいだろうか?この新人賞レー スの頃はすでに新曲「哀しみのブリザード」を発表していたが賞番組の多い暮れには勝負曲の「ゆ・れ・て湘南」を歌うことが多かった。
忘れもしない年末のレコード大賞。エントリー5名の中に見事入賞した彼女がこの「ゆ・れ・て湘南」を歌っているのを見たとき年が明ければ高校入試だという のにノンキにファンになっていた。
ファーストアルバム「妖精(フェアリー)」はず〜っと後になって聴いたのだがこの「ゆ・れ・て湘南」は別アレンジで収録されている。音が微妙にはずれると ころがまたご愛嬌というかアイドル歌手ならではの特権である。シングルはかなりいい出来のボーカルが収録されているのにどうしてアルバムのものはつなぎ合 わせなかったのだろう?と不思議に思った。
ファースト「妖精(フェアリー)」は実にいい曲がたくさんある。
楽曲的には石川秀美はデビュー当時から大変恵まれていたのだ。
70年代アイドルより80年代アイドルの方が楽曲的にもまたアレンジや小細工なども70年代をお手本にしながら上手に料理している曲が大変多い。石川秀美 もまたそんな80年代アイドルの代表格になるほどの存在であったと思う。
しかし、何度聴いても彼女のベスト1シングルはやっぱりこの曲であろう。

哀しみのブリザード
この曲は当時全く知らなかった。それもそのは ずこの頃はまだファンではなかったからだ。
アルバム未収録だったこの曲は1年後サードアルバム「セミ・スイート」にボーカル新録ということで収録された。ゆ・れ・て湘南をちょっとマイナーにしたよ うな仕上がりでそう悪くない曲である。
が、あまりインパクトの薄い曲かも知れない。実はこのシングル高校時代早見優ファンの友達からいただいたものなのだ。早見優と石川秀美はなんとなく印象の 似たタイプのアイドルだった。ハワイ帰りの早見とバスケットで鍛えた秀美。共に売り出すイメージは”夏”であった。
新曲が出るたびお互いの曲の雰囲気を比べていたものだ。早見がブレイクしたのはいうまでもなく「夏色のナンシー」からであるが、この頃は秀美の方が1歩先 行していたような印象がある。
「ゆ・れ・て湘南」と「アンサーソングは哀愁」どう比べても秀美の方がアイドル性が高いように聴こえるのはファンのひいき目だろうが、コンパクトにまと まって歌もそこそこの早見と微妙に音はずれているようにも聴こえるが声を精一杯出して歌っている秀美とではどうしても一生懸命歌っている印象が強く秀美の 方を応援してしまった。
健康的でスポーツウーマンの秀美は後々ミステリーウーマンなる曲を大ヒットだせるが僕らファンにとったら妖精時代を過ごさせてもらった石川秀美に今でも感 謝している。
今では四児の母となって私生活も充実しているようでお姉さんである河合奈保子さんともどもそして僕らファンともどもあのなつかしい青春期を今でも素晴らし い年月だったと振り返るのである。
若いということは何にも変えがたいものであるが、その若さを今でも持ち続けようとする努力こそがもっとも素晴らしい。そんな風に思うのだ。ピンク・レ ディーが小学生石川秀美が中・高校時代チャゲ&飛鳥、河合奈保子が社会人そして今はディアマンテスとその時好きだったアイドル及びアーティストを語ること によってあの日の素晴らしい年月が蘇ってくるのだ。
これが僕のOH!STEP楽しい道なのである。

石川秀美主演 初ドラマ 月曜ドラマランド「新翔んだカップル」



この頃の新曲「スターダスト・トレイン」を劇中歌に使い、ドラマ中オーディションのコーナーでは何故か「ゆ・れ・て湘南」を歌っていた。
当時ビデオなど我家にはなくラジカセに声だけとって聴いていました〜。(今では考えられませんが・・笑)今でもどこかにあるかも?知れません。
82年デビュー組の中では主演ドラマは割りと遅くに決定した秀美だったが、このシリーズ半年後にパート2が放送されましたが、そのパート2ではあのエリマ キトカゲ(なつかしすぎる!)が登場したり、劇中歌は当時の新曲「熱風」で した。いずれにせよ高校時代を思い出すなつかしいモニュメントですね。でも、この時の相手役はKYON2(小泉今日子)と結ばれましたね〜そのKYON2 (小泉今日子)はこの月曜ドラマランドで話題作「あんみつ姫」を熱演。主題歌「クライマックスにご用心」もヒットしましたね。



涙のペーパームーン
この曲は年が明けてから(83年)発売され た。高校入試まで後2ヶ月というときである。
のんびりテレビなど見ている暇などなかったが1回だけ夜ヒットで歌っているのを見た記憶がある。
年明けのこの頃は新人賞の後という事で同期の新人歌手たちもわりとリリースが多かった。中でも堀ちえみの「さよならの物語」などはかすかにレトロの感じで 覚えやすい曲調が今でも印象に残っている。まあ高校入試直前ということでほとんど勉強ばかりでゆっくり聴いた記憶はないが、初めて耳にしたときこりゃあい い曲だ〜と感じた。
あたりまえのアイドル曲調にポップなアレンジがなんともそれまでよりも1歩前進したような印象を受けた。なんといってもサックスの響きがポップさを更に助 長しているようである。(大好きです!)
当時明星か平凡かは覚えてないけど、絶賛している記事があった。まさにナイスなポップスといったところだろうか?。82年組みのアイドルたちはどのアイド ルも曲には恵まれていたと思うが、石川秀美の初期3枚作品からこの4枚目に移行する際、加えられた洋楽の匂いがかすかに感じる歌謡曲路線はこの後見事開花 することとなる。70年代のアイドルを参考に80年代のアイドルには曲のクオリティというものが加えられているように思う。楽器などの進化により更に聴き やすいアレンジのものが多い。
初期ライトポップス3部作はこの涙のペーパームーンに始まり次のHey!ミスター・ポリスマンから恋はサマーフィーリングまで続くが出来栄えではこの涙の ペーパームーンが一番のように思います。


Hey!ミスター・ポリスマン
石川秀美の出世曲。
この頃高校入学した僕は、この曲のリリースは知らなかったのです。
なにせ、入試合格から高校入学まで土建屋さんでバイトしていたもので、ぜんぜんついていけてなかったです。
高校入学と同時にバレー部に入部。この頃から青春まっしぐらの毎日がスタートするわけです。
カーペンターズのプリーズミスターポストマンをモチーフにした(というより完全パクリ?といってた奴もいた 笑)曲というのは良く分るが、軽快なライト ポップスは第1期石川秀美の象徴であったと思う。
これを経て第2期歌謡ロック路線へと突入するのである。
 さて、この曲ですがイントロも短く曲調も割りとスムーズに流れるのでヒット性はあったのであろう。
耳に残るキャッチーなフレーズと最初申しましたとおりカーペンターズまがいの曲構成であっ!と思ったかも知れません。
僕がこのレコードを購入したのは実はずっと後だったのです。
ご覧のようにジャケットが後で出た分ですから。初期の分は持ってません。
持ってる人が羨ましい〜。
初のベスト10ヒットとなった本作品で他の同期デビュー組にちょっと追いついた秀美ちゃんでありました。特にライバル早見優ちゃんの「夏色のナンシー」の ヒットほどには行きませんでしたが、ちょっと追いついたかなという印象を持ってました。この後も早見、石川のヒット合戦は続きますがどうしても勝てないそ んなことを感じていた時期でもありました。(勝手にね 笑)
ちなみにこの曲のB面「さざ波」は大好きな1曲でした。わ〜たしーという桜田淳子さんまがいの鼻にかかった歌い方はこの頃からだったんですね。これが後の あなたとハプニングのあの歌唱法に発展したんでしょうか?

恋はサマー・フィーリング
前作「Hey!ミスターポリスマン」の後を受 けてたった新曲はこの曲「恋はサマー・フィーリング」
完全は歌謡ポップスあまりにも簡単すぎるフレーズの応酬。サマーサマーあなたサマサマーなんてアイドルならではのコミック的なフレーズの繰り返しにファン たちはクラクラしてたんでしょうか?誘惑光線クラッ!なんて曲もありましたから・・・あ・いかんこれはライバル早見ちゃんの曲  (絶句)
今、振り返るとこの曲の頃から本格的に石川秀美のファンであったように思う。
なぜならこの曲は待ちに待っていた新曲だったからである。この頃発売されたアルバム「16祭(シックスティーンカーニバル)」は買わずに一番新しく出るレ コードが欲しかったからである。
でも、初めてラジオでこの曲を聴いたとき、前作までのクオリティからちょっと下がった?印象を受けて好きではなかったかも?ライバル早見ちゃんはこの頃 「渚のライオン」大ヒットでした。
毎回、ザ・ベストテンで秀美ちゃんではなく早見ちゃんの渚のライオンを聴いてちょっと悔しかった。
トップテンには入ってた気がするけど・・・。
当時夏休み、バレー部の練習もけっこうきつかった。
夏休みの終わりに1年生大会があるということで一生懸命やってたなあ
僕は背は高かったけど自らセッターを申し出てやったんですよね〜
このあとですあの猫田さんが亡くなったのは・・・何か因縁を感じてしまうのは・・俺だけ?・・多分
猫田さんのこと、詳しくはこちら
そんなこんなで高校で初めての夏休みはこの曲と共に終わるのでした。
この曲のB面「ネイビー・ブルー」もけっこう好きです。秀美ちゃん以前のなにかの曲に似てるところもありますが、さわやかなサイダーの味のする曲です。 (なんじゃ〜そりゃ〜 笑)


バイ・バイ・サマー
やった〜
この曲を初めて聴いた時の印象である。石川秀美のヒット曲「ゆ・れ・て湘南」と同じ小田裕一郎氏の作品。余談ですが小田裕一郎という方はピンク・レディー の隠れた名曲「愛・GIRIGIRI」という曲も作っています。ま・いいですけど・・・笑
当時田原俊彦も「さらば、夏」という曲を歌っていて、どっちが先?と思った事がありました。
ジャケットから分るように、少しオ・ト・ナ(キモイ?)を意識した作品で少し背伸びしたい17才の彼女がこの曲からは聴こえてきます。モチ、大好きです。
イントロのダンダンダラランジャージャージャッが特にぞくぞくっときてました。
おっ今までとは全然違うパターンだと思ったものです。
トランペットの響きが特に印象的に夏の終わりをイメージしている。
夏に恋すると秋にきれいになると歌っているので当時夏に恋をする女子高生が増えたとか?ハハなわけないか・・・ハハ・・
歌唱法も今までのものより多少歯切れがよくパンチの利いた歌い方はやはり声が出るからであろう。
音程にはまだまだ心配な部分も残るが確実に自分の歌い方というのをこの曲から感じることが出来る。バイバイサマー!!が一番印象的に残っているであろう。
B面「踊りましょう」はこのジャケット写真ピッタリの曲である。ゆったりした曲はA面の激しさをサポートするように聴こえてとても優しさに包まれた曲であ る。けっこう名曲だと思います。
この頃早見ちゃんは「ラッキィ・リップス」相変わらずベストテンの常連でした。



スターダスト・トレイン
前作「バイ・バイ・サマー」が思ったほどの ヒットにならなかったため早くも新曲である。
バイバイ・・・が9月このスターダスト・トレインが11月の発売ですからね。わずか2ヶ月で新曲発表となりました。この頃レコード大賞でゴールデンアイド ル賞というのがありまして、それに秀美ちゃんも入賞していました。アイドルが全盛期だったことが伺える賞ですね。11月の時点では「Hey!ミスターポリ スマン」を歌ってましたが、12月31日の時にはこの曲「スターダスト・トレイン」を歌ってました。当時の記憶からです。
さて、やっとこの曲まできました。
この曲にはいろんな思い出があります。まず、この頃はロサンゼルスオリンピックの前年とあって出場権の争奪に一番注目が集まっていた頃でした。僕が言って るのはバレーボールのことですが、
そのオリンピックの出場権をかけて、アジア選手権というのがこの頃11月から12月にかけて全国で開催されました。今はオリンピックの前年にバボちゃん マークで有名なワールドカップが行われ、その上位3チームにまず出場権が与えられその後アジア予選などが行われます。
でも、この頃はオリンピックの2年前の世界選手権での上位3チームに無条件でオリンピック出場権が与えられていたんです。その大会で(この当時からいうと 1年前82年)日本は初めてメダルを逃すという異常事態に追い込まれていました。この大会で出場権を獲得している中国以外で1位にならなければオリンピッ クには出場できないのです。そんな熱気に日本中が包まれていた頃でした。江上、三屋、中田、・・・今でも燦然と輝くビッグネームの選手たちがひしめき合う あの全日本女子チームの活躍は当時の方たちならご存知のことと思います。まだ全日本女子チームが英雄だったころです。見事、優勝、出場権を獲得したことは 周知の事実であります。一方、女子に隠れていつも注目の集まらない男子チームもこの大会では見事優勝、オリンピックへの切符を手にしたのです。僕が影響を 受けた猫田選手の他界からわずか2ヵ月後に開かれた今大会ではみんな「ネコさんが力を貸してくれたんだ」とおっしゃってました。
僕がだんだんとバレーから離れられなくなっていった頃のことです。バレーボールのページはこちら!
 さて、当時のもうひとつの思い出それは恋です。
それまで彼女なんて出来るのかな?なんて自信のなかった俺でした。(けっこうダサかったからね〜。・・・ん?いま?いまは・・・イケテルよ 爆)
他校の子でしたが、クラスの女の子づてに「話があるって〜」なんていわれて・・ドキドキバクバクでした〜。初めてのデートは確か喫茶店でクリームソーダ だったかなあ・・・なつかしい。手なんか握っちゃって汗だくだくだったこと覚えてます。(純でした〜・・ん?いま?いまは・・・それなり?・・かな 笑  年相応ってやつだよ  爆)
さて、歌の話といきましょう。
この曲は今までの秀美ちゃんからロック色の強い曲に移行する前の貴重なヒット作です。アイドル歌謡でありながらビートの利いたサウンドの展開は今聴いても 新鮮さを失っていません。秀美ならではのアイドルロックといったところでしょうか。久々にベストテンにも入りやっと出た〜と嬉しかった記憶があります。長 続きのするヒットではありませんでしたが、年末年始この曲のヒットでなんかすがすがしい年越しが出来たことを今でも鮮明に覚えています。今年(84年)は きっといいことあるようなそんな気がしていました。
以上これまで8枚のシングルと共に当時の思い出を振り返って来ましたが、みなさん如何でしたか?82年から83年は高校入試を挟んで僕の人生でひとつの大 きな節目だったように記憶しています。この頃から僕は前向きなSTEPの原型を覚えていくのです。では^^


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