俺があのNHK
のど自慢に出
場出来たのは昨年のこと。
今まで2度挑戦して駄目だった。まさに3度目の正直だった。そして予選当日、やはり緊張したが音がなって気がついた「ラッ
キー!」キーが半音低かったのだ。練習は原曲キーでしてたので、声は楽に出た。「こりゃあ、いけるかな。」とふと、よぎった。(笑)だが、発表があるまで
は♪油断は駄目よ〜(byカメレオン・アーミー笑)そしていよいよ発表の時間午後六時半。しかし、七時近くなってもまだ始まらない。結構難航してるよう
だった。そしてそれから間もなく発表となる。5番愛のメモリーと呼ばれたときは「ヤッタ」と思わずヤッターマンになりそうだった。(笑)すぐにみんなに連
絡。その日はそれから打ち合わせやら音合わせで終わったのが9時か10時だったと思う。その音合わせのとき「松崎さんの新しい譜面でやろっか」といわれ。
予選とは違うアレンジで歌うことに。キーももちろん原曲キー。しかしその時の俺はチャレンジャーになっていた。「お願いします!」これがこの後の悪夢にな
ろうとは知るよしもなかった(笑)。本番当日朝、8時前に集合。リハーサル。何度も入退場の練習。「ハイもっと元気よく、笑って〜」とスタッフの声。あ〜
大変だなあ。テレビって、というのが率直な思いだった。そしていよいよ本番。本番ではド緊張のまま鐘2つ。まさに素人をさらけ出した瞬間だった。(笑)で
も今振り返るとなかなか出場が難しい中、自分でもよく出れたなあと最近は思う。ほんとに貴重な体験をすることが出来てよかった。何千というハガキの応募か
ら予選に250組、さらにその中の20組が本選出場だから狭き門中の狭き門だ。その時のメンバーとはたま〜に会っては呑んだり歌ったりと(歌なくして始ま
らない)歌が取り持つ縁とでもいいましょうか。何事も楽しい道をSTEPしている人たちなのです。2歳のころから歌が好きでよく歌ってましたが、素人に
とっては晴れ舞台!やっぱ、最高の思い出だった。ちなみにに何故この「愛のメモリー」を選んだかというとまず、インパクトを狙ったこと、NHK紅白で歌わ
れたということ(この紅白のときピンクさん初出場)そしてディアマンテスの持つスペインの香りがする。以上が選曲理由なのです。また出たいなあ〜(笑)
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この曲に・・・
わたしの首領
小学校の時、夏休みだっただろうが、街へ親子
3人で出掛けた時、レコードプレイヤーを買ってもらった。うちの親父は昔の人だったので、欲しいといっても、そう簡単には買ってもらえなかった。今では物
があふれ、なんでも手に入る時代ですが、僕の小学生のときもすでにそんな頃でした。・・が、家では、食べて暮らしていくのに、困らなければいらない主義で
したので、直接生活に関係のないレコードプレイヤーなど必要ないといわれてもしょうがなかったのである。よその家にはステレオなるものがあるのに、我家に
はない。そんなことを思っているときでした。幼いころから歌が大好きでいつも欲しがるものといえば、おもちゃなどではなく、必ずレコードだった。でも、年
寄りの両親にせがんでも、なかなか買ってもらえず、初めて買ってもらったのは、朝日ソノラマのソノシートだった。テレビマンガの主題歌が8曲入ったもの。
その後はピンク・レディーのシングル。でも、プレイヤーのない我家にはレコードがあっても、聴くことができない。隣の家や親戚の家で聴かせてもらうこと
が、唯一でした。
そんな時、親父が安いのなら買ってやるぞ。といい街へ。その時プレイヤー(当時で9000円位のでした)を買ってもらったとき、レコード1枚買ってやると
い
われて買ったのが、この
わたしの首領なのです。この曲を聴くたびその
日のことが今でも思い出されます。生まれて初めて自分の家でレコードが聴ける。その喜びはこの上ない幸せでした。なんというか、親父の暖かい気持ちがこの
曲と共に蘇ってきます。何度も何度も繰り返し聴いたせいで今では音が割れてしまいますが、その音が割れている
わたしの首領はあの日の貴重な宝物だと思います。
厳しかったけど、どこかでいつも愛情を注いでくれた両親に本当に心から感謝しているこの頃であります。
同じ日「ナイフとフォークの使い方を教えてやる」といわれてビフテキとナイフとフォークを買って帰り、教えてもらいながらこのビフテキを食べたことも、よ
〜く覚えてます。おいしかった〜。
うちの親父は大正生まれで、同じ年位でナイフとフォークを使って食べる人などいなかったのですが、その辺りもどこか垢抜けた粋なところのある親父でした。
そんな思い出のある、わたしの首領でした。(田舎モン丸出しの思い出でした 笑)
さて、この曲もデビューシングル
狼なんか怖くないと同じ、阿久悠-
吉田拓郎コンビの曲でさすが、詞のセンスは抜群ですね。拓郎さんのフォークっぽいアレンジも見事アイドル歌謡にはまってます。
あなたといた時間
森口博子は福岡の出身である。同じ九州という
こともあり、僕と同世代であり、昔から応援していた歌手の一人である。どこにでもいそうな明るい庶民的なそのキャクターからは想像できないくらい歌が上手
な子である。以前あの井森美幸と同じ回のホリプロスカウトキャラバンに出場経験を持つがその時には優勝は井森に奪われたためデビューできなかったが後に別
の事務所から起動戦士ガンダムの主題歌でデビューとなる。だが、それ以降泣かず飛ばずの日々が続き、歌よりそのキャラクターが買われてバラドル(バラエ
ティーアイドル 死語?)として人気を得る。ものまね番組で松田聖子のまねなどを披露していたが、そんな森口博子があの紅白歌合戦に初出場したのは実に
91年のことであった。この当時本当は凄い歌唱力があっても、持ち歌では芽が出ず常にものまねを強いられるバラドルはたくさんいた。本当はお笑いでなく本
気で歌いたかっただろうが周りが求めるものではないということなのだろうがそんな中でも歌が歌えるだけでも幸せというバラドルもいて、歌が好きな自分はい
つもなんとか歌えないものかなあなど身内でもないのに思っていた頃があった。そんな中にいてあの紅白に初出場した森口博子は幸運だと思っていた。
本当に嬉しかった。以降
6回の連続出場を果たす。これは全盛期の
中森明菜、河合奈保子と同じ回数で凄いことだと思う。初出場は
ETERNAL WIND2回
目はプリプリ(プリンセスプリンセス)の奥居香の作品で大ヒットした
スピード3回目は
ホイッスル。この時森口博子の
バックダンサーはあの安室ちゃん率いるスーパーモンキーズ(後のMAX)でした。森口博子のステージで曲の間奏で衣装変えの時
スーパーモンキーズの面々がハッキリ映っている。これには正直なところ今見ると
驚きである。そして4回目が
Let'sGO!そ
してそして5回目がこの
あなたとい
た時間である。
なぜ、この曲に想いがあるかというと前回までは
中山美穂、工藤静香な
ど大物アイドルが出場していたがこの回には出場していなかったのだ。それとどういう関係があるかというと、大体紅白もひとつのショーであり、それぞれの歌
手の持分というのがある。盛り上げる役、聴かせどころで聴かせる役色々だ。そんな中、森口の持分はそれまで盛り上げ役だったであろう。中山美穂や工藤静香
などはバラードなどを熱唱しても森口は常にバラドルの延長である盛り上げる元気一杯な歌を歌っていた。・・が、この回はその役割が森口に回ってきたのであ
る。以前森口のバックで踊っていた安室奈美恵が初出場し、盛り上げるアイドルとの交代でもあり、森口自身初めて大晦日のステージで切ないラブソングを熱唱
したのだ。出番も中ほどの出場で一番の聴かせどころの登場で正直、遂何年か前までオリジナルの歌さえ歌えなかった歌手が紅白のステージでアイドルとしてで
はなく歌手として歌っている姿に正直、感動を覚えたものでした。今までの元気一杯のステージでなくバックのダンサーもなにもないステージは歌手森口博子の
出世を堂々と表しているようで精一杯歌うこの曲との出会いは彼女の歌手としての実力をみせつけたように思う。本当にこの歌を歌っている彼女の真剣な表情は
今でも瞼の裏に焼きついている。「よかったなあ」と心の中で泣いていた(おかしい?笑)歌いたくて歌いたくて歌手になったんだという気持ちを充分理解でき
る歌でした。この後、次の回で
視線と
いう曲の後、出場は途切れ、今はコレといってヒット曲もないが、今でもこの曲にはそのような思い出がある。
このように、いつも大ヒット連発の歌手より地道に歌を歌い、いつかヒットをと願う歌手を何故かいつも応援してしまう。そしてその人がいつかメジャーになっ
たとき「よかった〜」と思う自分がいつもいる。それはきっと自分が何より歌が好きで本当に好きでその気持ちが伝わる歌手に共感を覚えるからであろう。森口
博子今でもたまにテレビなどで見かけると少し嬉しくなるのだ。(思えば親父もプロ野球は最下位のチームを応援していたなあ。似てるかも?笑)
ブルーロマンス薬局
僕と同世代のみなさん、このポップコーンとい
うグループ覚えてますか?
あのスター誕生を勝ち抜いてデビューした兄妹のコンビです。スター誕生の時は狩人のあずさ2号を歌って見事デビューへとこぎつけました。ピンクさんの一連
のヒット曲を手がけた都倉先生の曲でポップでキャッチーな曲は軽快でヒットしそうな雰囲気を持ってましたが、残念。余りヒットしませんでした。でも、当時
からスター誕生はよく見ていて、そこからデビューしていった新人たちはいつも陰ながら応援していました。彼らのハーモニーは抜群でうまい!と小学生の時
思っていたものであります。このポップコーンのふたりは幼いころから音楽一家で育ったとかでその辺りにこの歌のうまさはあったのではと想います。
そのうまさを十二分に発揮するにはもっと違った雰囲気の方がよかったのかも知れませんが、まだ10代。どうしてもアイドル路線だったのでしょうね。
イントロからワクワクするような音作り。それはデビュー曲としてかなりの出来栄えであったと想いますが、売れる売れないは全く分らないのがこの世界。
惜しいことにこの後の曲フレー!フレー!の後はさっぱりわからなくなってしまった。
コレ今となっては貴重盤でしょうか?(笑)・・・ね。
サンフランシスコ行き
カナダからの手紙のヒット曲で知られるこのコ
ンビ。
この一連のシリーズではこの曲が一番好きだった。全部で4作発売された中で3枚目であり、何故このレコードを買っているのか未だにそのわけはわからな
い・・・。でも、小学生当時テレビから流れてくる曲を聴いて買ったシングル盤はいずれも、けっこうクオリティの高い楽曲が多い。石野真子ちゃんのものして
も、ジュリーがライバルなどのアイドルソングは持ってないが、拓郎節の曲など割とまともな?(失礼)曲しか持ってないし。
さて、このサンフランシスコ行きという曲はやはりアメリカ西海岸をイメージしたウエストコースト風の仕上がりでさわやかな創りである。平尾先生の教え子の
中でも一番歌の上手な子を相方に選んだそうだが、その真意はわからない。???
でも、畑中葉子は確かに歌が上手だ。このシングルで聞く限り、やっぱり選ばれただけのことはあるなあと感じる(アレも上手だったんでしょうか?こんなこと
後々言う人もいましたね 笑 なぜなのか、それは彼女のこのあとの豹変ぶりからなのですな・・ん?)
B面収録の赤いレインコートという曲もそりゃあ名曲ですぞ。(何モン?)
切ない曲なのだが、まさに歌謡曲全盛期のメロディーという感じのするほんといい曲です。
平尾ー畑中コンビはこの1年間だけの活動でしたが、カナダから・・・の後はコレといって印象に残る曲はないが、これは自分がレコードを持っているのでいい
曲だと分るが、他の人たちはほとんど覚えてないのかもしれませんねえ。他の企画ユニットとのコンピレでもいいからCD化して欲しいなあと思います。
Deep
これこれこの曲大好きでした!今でもちょっと
踊れるかも?!
渋谷哲平さんといえば、彼もスタ誕出身ですね〜。石野真子ちゃんと一緒の決戦大会だったと思いますが・・・。だからデビューも同じ78年でしたね。彼のデ
ビュー曲はどちらかといえば演歌より?の「朝日にむかって」でした。(結構、いい歌だったんですよ。今は歌えないけど・・・)
2曲目も同じ路線でしたが、この3曲目から方向転換、今までとは全く違う当時のかっこいいアイドル路線へ。郷ひろみさんのバイブレーション、高田みずえさ
んの花しぐれ、パープルシャドウとよく似たリズムパターンでほんとサウスポーともよく似てますよ〜。・・・お分かりですね。そうです。都倉俊一さんの作曲
なんです。途中ドラムスのタッタッタッというのが入ってます。それでいて、インパクトのあるリズムパターン。彼はこの曲のヒットにより、新人賞レースには
間に合いました。イントロからスピード感のある曲で流れるような中にちょっと笑ってしまいそうなコーラスのお姉さんたちが登場である。♪サーフィンで(ン
でンで) これは笑ってしまう・・。時代だなあと懐かしくなります。(こういう類のものをピンク・レディーの曲には使ってないんですよ〜)このDeep大
好きでしたが、B面のファイヤーという曲これは絶品!今でもいい曲だなあと思います。前作までの歌謡曲路線を残しつつドラマティックでなんともバックのス
トリングスの早い音心地いいです。サビから始まるパターンの曲ですが彼の個性そして声質がよく生かされていると思います。やっぱりスタ誕出身者はある程度
の歌唱力があるなあと思ったものでした。この1年後ピンク・レディーのピンク・タイフーンと同様IN THE
NAVYをセルフカバー。ヤング・セーラーマンのタイトルで振り付けもピンク・タイフーンとよく似た振りで踊ってましたね。
こんなところでピンク・レディーと再びご縁があるとは・・さすが同窓生!