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OH!STEP楽しい道 山口百恵編
ピンク・レディーと時を同じくして70年代を彩ったのが山口百恵。鮮やかなまでの引き際は今も多くの人々に神話として語りつがれている。
僕としてはピンク・レディーのページで多くを語っているが、常に隣り合わせにいた山口百恵はPLファンとしていつも、気になる存在であった。
73年5月にとしごろでデビューし、2ndシングルで路線変更。これが大当たり、国民的歌手に上り詰めたのはこのすぐ後のことであった。
ピンク・レディーと同じく山口百恵初期の作品は都倉俊一氏の作曲であり、斬新なメロディーに奇抜な歌詞は当時新鮮に映ったであろう。
山口百恵がこの後、強力なバック・ブレーン阿木−宇崎コンビと組んだのは76年6月横須賀ストーリーからであり、ピンク・レディーデビューのわずか2ヶ月前のことである。後に時代はこの2組の鮮やかな共演により、歌謡界のテンションは最高に上がっていったのを記憶している。あの阿久悠氏は後にこんなことを書いている。「変身を宣言ぜずに変身をしていたのが山口百恵であり、変身を宣言して変身したのがピンク・レディー」だと。
特に78年の賞レースでも常にピンク・レディーはグランプリであったが、百恵はトップアイドル賞や歌唱賞などそれぞれの部門に対して賞を貰っていた。
どちらも、他がマネすることの出来ない世界観であることが未だに歌い継がれているのだと思う。芸能界からこの2組が去ったのも皮肉にも70年代を過ぎてからのことで、本当に歌謡曲が元気な時代に花を添えてくれていたのだなあと改めて思うのである。
そんな百恵さんの変遷を以下のシングルジャケットでご覧いただきたい。では。
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